春の訪れと花粉症。
どうもみなさま、諭吉でございます。
毎年春は花粉で死にかけるんです。まあこうして元気一杯ブログ書いてるんで生きてます。
いっつも薬でなんとか押さえ込んでるんですけど去年から新たな手立てを見つけまして、
それがとても簡単に鼻腔と目の周りにワセリンを塗る、というやつなんですが
これがすごい。
ぴったり無くなります。しかしながらワセリンというのは油ですから、塗ったままに陽に当たり続けると塗った部分が黒く色素沈着しちゃうらしいのでもしワセリン塗ってやろうというかたがいらっしゃったらご留意くださいませ。
さて、3月度の執筆はとあるシリーズに熱中してしまいました。
その名も
「蹂躪の舞台で。」
どうしてこのシリーズを書こうと思ったのかもう覚えてないのですが、
熱中して書き続けられるシリーズというものであればあるほど
極めて自然に、産みの苦しみというのを感じずにとってもスムーズに話が湧いてきます。
私の文章をご愛顧下さるみなさまには、いつも文章から頭の中に絵を描いていく作業をしてくださってると思いますが、それは私も同じでこの文章を頭の中で絵にした時に感じるリアリティというのをぜひ共有したいと思いました。
諭吉としてはともすれば戦場の悪魔シリーズのように、美しい女性に男が絞め殺されるような極端な逆リョナと言われるようなものを多く書きがちなのですが
しっかりとした痛めつけるための学園M格闘モノに意識を集中させたひと月でした。
あらすじ OF 蹂躪の舞台で。
舞台は「自由」を謳う高等学校。
学長の意図する自由とは学ぶ形や人間としてのあり方としての自由、型にはめるばかりの教育ではなく若いなりの生徒の意思を尊重した自由学習のスタンスだった。
だが、時はたち自由という言葉は無責任の隠れ蓑になる時代となった。
のさばる不良たち、日々を破壊と暴力と怠惰が包んでいた。檜山光太郎も彼らの幼稚な残酷さの餌食になる日々を送っていた。
学校としては自由な校風を謳うばかりに彼らの愚行を止めることもできないでいた。
真面目な学生たちは蹂躙されるばかりで、せっかくの学習の機会すら取り上げられて
楽しみにしていた体育祭も文化祭も不良たちの一存で中止を余儀なくされた。
そんな中、不良たちは自己顕示欲を満たすために「学内格闘技大会」を企てる。
これは競技ではなくテイのいい公開暴行を想定した企画だった。
形上不良たちに「不利」なルールを制定したが、それも彼らの自信の現れであり、一方的な暴行を正当化するための土台作りだった。
不良たちの指名によって作られた相手チームは普段彼らによっていいように扱われているいじめられっ子集団であり、当日の会場にもまたどうせいつも通り不良の暴れている姿を見せられるんだろうという空気が漂っていた。が、不良たちの思い通りに事が運んだのはここまで。
当日、一人の生徒が体調不良を理由に欠席したことから学内では代わりに出る人間を募ることになった。
そして名乗りを上げたのが「玲央名」だった。
この玲央名を中心に話が進む「続シリーズ。」そしてスピンオフ的に続いた「図書館の罠シリーズ」合わせてお楽しみいただけると幸いです。
そして長く続いたシリーズが終わって今は新しい「好奇心の代償」という話に取り掛かっています。
ピクシブの方にはnoteよりも長く無料公開分アップしているのでぜひお目通しください。
今回紹介した分は全て「作品集」のページにリンクがあります。
みなさまのM格闘ライフが少しでも充実したものになりますようにと願いを込めて描いたものですので過去作も含めましてお読みいただけると嬉しいです。
では、また。
諭吉でした。